「投資は余剰資金で行うもの」です。何とか口に糊しているような状況で、更に切り詰めてまで投資を行う必要はありません。
これはある意味、収入が乏しい家庭において「余剰資金が無いので投資が出来ない」ということを肯定してもいます。
そしてそれは一面では正しい。当面の生活が成り立たないのに、将来に向けての投資をするというのは、本末転倒です。
ただし、「投資をしない」という選択をする時に押さえておくべき事実があります。それは「収入が低い」ことで「投資をしない」という選択肢を取ると、結局「格差が広がる」という結果に陥るということです。
年収の高い人ほど投資を行っているという当たり前の事実
下のグラフは、ピューリサーチセンターがアメリカの世帯について、株式投資を行っている世帯の割合と年収との関係とを調査した結果を図示したものです。
「BY FAMILY INCOME」の項目では、世帯年収別(35000ドル未満/35000~52999ドル未満/53000~99999ドル未満/100000ドル以上)に、株式投資を行っている割合を緑の棒グラフで示してあります。
このグラフを見ると、年収が35000ドル未満(日本円では約380万円程度)の世帯においては株式投資を行っている割合は19%に留まっている一方、年収が100000ドル以上(日本円では約1090万円程度)においては88%が投資を行っていることが分かります。
その中間に位置する層について見ても、世帯年収が向上するに従って、きれいに株式投資を行う割合が増えていることが分かります。
これ自体は、とても自然です。世帯年収に応じて生活水準は上がるとは言えど、基本的には年収が上がれば可処分所得は増えていきます。株式投資に回すお金が増えるのは頷けますね。
ここには、「年収が低いので自由に使えるお金が少なく投資に十分なお金を回せない」家庭がある一方で、「年収が高いので自由に使えるお金が多く投資に十分にお金を回せる」家庭があるという構造があります。
この構造が、「格差拡大」すなわち「貧乏人はより貧乏になり、金持ちはより金持ちになる」という問題を生み出します。
利回り>給与の伸び:ピケティの発見
2014年に刊行され日本でもベストセラーとなったトマ・ピケティの「21世紀の資本」。トマ・ピケティが見出した発見の中で、最も注目を集めたのは、「r>g」という不等式です。rは「資本収益率(すなわち「利回り」)」、gは「経済成長率(すなわち「給与の伸び」)を指します。
トマ・ピケティが発見したのは、歴史上(ごくわずかな例外を除き)、rがgよりも大きいということ。すなわち、資産運用によって得られる利回りの方が、労働によって得られる利回りよりも大きいので、「投資をすることの出来る金持ちはより金持ちになっていくし、投資が出来ずに労働で口に糊する貧困層はいつまでも裕福になれない」ということです。
データを見てみましょう。上のグラフは、0年から2100年までの資本収益率及び経済成長率の推移及び予想推移を示しています。資本収益率が平均して約5%であるのに対し、経済成長率は平均して1~2%程度です。経済成長率は、20世紀の一時期には資本収益率に近づいたものの、その差はまた開こうとしているというのがピケティの見方です。
これはすなわち、世界は全体で見ると、自分の親から多大な財産を相続したものが更に豊かになり、そうでない家庭に生まれれば貧乏なままに留まる「格差の再生産」が起きる方向に向かっているということを意味しています。
この知見を念頭に、個人はどう行動すべきか。
それは「g」のポジションに加えて、「r」のポジションにも立って、資本収益率の上昇の恩恵を享受すること。すなわち投資をすることです。
本来、金持ちに投資は必要ない
よく考えると、本来であれば潤沢なキャッシュがあるのであれば、投資は不要と言えるかもしれません。お金に働いてもらわなくても、生活に困ることは無いのですから。
本来、資本収益率の恩恵を享受すべきなのは、労働から生活の糧は得ているものの、そこに大きな伸びは期待出来ない側の人間です。労働だけでは十分な資本形成が出来ないからこそ、投資を行ってお金に働いてもらう必要があります。
しかし、現実はそうなっていません。冒頭で見たように、年収の低い世帯は結局投資を行わないし、年収が高い世帯程、投資にお金を振り向けています。可処分所得が違うのだから、自然に身を委ねればそうなるのは自明の理です。
そのため、年収の低い一般人こそ、意識して投資に収入の一定割合を振り向ける必要があります。働きながら投資をすることで、労働の果実だけではなく、資本が生み出す収益の恩恵をも享受する。
年収が低い場合に、投資自体が難しいというのもまた事実です。
投資を行うために、生活水準を少し下げ、切り詰めながら、収入の範囲内で暮らすことが求められるかもしれません。その中で、優先順位の低いものを切り捨てる勇気が問われることがあるかもしれません。
それでもなお、広がりゆく格差社会の中でより豊かに生きるために個人に出来る一つの対応策が、投資であることに間違いは無いのです。